以前もこの話題をあげたが、男はつらいよ!シリーズで「何のために学問をするのか?」と言う問に、僧侶の受け売りで、寅さんが「己を知る為よ!」と答え、大学の助手のマドンナが、はっと気付くシーンがあった。
しかし、現状はどうだ?
本を読みあさり、知識はあれど、その目的は、己を知るどころか、己を見失わせれいるのでは?と思う事が多い。
何のための知識か?
知識を自慢する為のものか?
また、その書物とやら、売れねば商売に成らない事情もあり、本当に為になる本も少ない気がする。
また、人の意見や記述ばかりに心の拠り所を求めていると、活字依存症にも成るであろう。
そのような事から、自分の頭で物事を考える能力が欠如する事も考えられる。
勘の悪い人間も、そのような偏った演繹法から生み出されるのでは無かろうか?
それらは、刹那の出来事への洞察に乏しく、自分の感情の行方すら見失うだろう。
フィジカルな側面でのトレーニングにより、刹那の自分の盲点を発見する事になるのだが、文武両道は、そのバランスの重要性を呈した概念では無かろうか?
知識を詰め込むだけでは、己を知る事は出来ず、客観を装いながら、その実刹那に、感情に流されている!その積み重ねで、上手く行くものも行かなくなるのでは?
などと、今朝のインスピレーションを言語化してみました。(笑)