私が解明して編み出した結果としての成果は、やはり、本当に様々な体験を経て、何が駄目かを分かっている方には評価して頂けるのですが、根本から異を唱える方々は、大変失礼ながら、声の空洞化を抱えながらも自らのやり方に疑いを持つことが出来ない、いわゆる宗教の信者と化していると見えてしまうのです。
私は、時間の経過により少しでも不具合が見つかると、それを放置する事は出来ず、改良の余地あり!と判断します。
それを繰り返す事で、声の構造が見えて来るのです。
要するに、巷の信者さんとは根本的に目的や考え方が違うのです!
だから改良出来るのです!
ある大御所で実力者が習いに来られていますが、「こんな風にやられたんじゃ周りは廃業ですよ!」とおっしゃりました。
最近つくづく思うのですが、声楽でも何でも、世の中の人達が信じて来た事の殆どは嘘であったようです。
何故ならば、権威とは、大衆を信じ込ませる為の布石であり、ある目的の為に意図的に作られたものであると言っても過言ではない事が、徐々に明らかに成ってきました。
権威が有ろうが無かろうが、駄目なものは駄目!優れたものは素晴らしい!と言う、当たり前な事が分からなく成っているのです!
従って、権威主義に偏る事とは、物事の本質を観る力を鈍らせる作用があると言う事です。
子供の目線がよっぽど本質的ですよ!
最近、人の喋り方、表情が気になって仕方がありません。