書物などからの知識だけだと、上っ面の文字面を捉えるのみの理解に留まるのである。
浅い理解は、一つの概念に縛られる傾向にあり、その周辺の前提に重要なポイントを含む場合、誤認の原因にもなるのでは無かろうか?
特に抽象度の高いものを言語化した文献などを扱う場合、読み手が未熟である場合、そのような誤認が多発するのである。
主従を履き違えたり、クローズアップして決め付けたりするのである。
特に、この決め付けには注意が必要であり、従の絶対化に陥ると、とんちんかんな結論に至るのである。
そもそも、そのような論法は、詭弁に使用されるのであろう。(笑)
やはり、抽象度の高いものへの体感的理解こそが、その誤認も識別してくれるのである。
視野の広さや、狭さなどにも拘わってくる問題であり、こんなこと言っては申し訳ないが、エリートは、文字面の知識でエリートになる訳で、その偏りを穴埋めする事には、やはり意味があるのでは無かろうか?
バランス悪い人間より、バランス良い人間が良いに決まっているが、現代はアンバランスに偏っていると思えて成らない。