社会的立場上、先生と言う職業があるわけですが、周りから「先生!先生!(♪それは先生~w)」と呼ばれ続けていると、自分が偉い人に成った錯覚に陥る事は、意外に多いのでは無いでしょうか?
例えば、声楽発声にしても、「自分は出来ている、正しい!」と、認識出来る根拠はどこにあるのでしょうか?
その根拠の多くが「先生!」と呼ばれている事にあるのでは無いでしょうか?
では、何故先生と呼ばれているのか?
とことん考察してみると、意外と曖昧であったりするのです。
私は、声楽発声を究めたくて究めたくて(笑)仕方がないので研究しています。
常に、超一流の音源と、自分の違いは何か?と問いただしています。
何故なら、諦めていないからです。
逆に、巷で先生と呼ばれて、私は出来ていると思っている人達は、自分の満足できる物語に浸り、諦めてしまっていると言う風に私は感じています。
私は一流の歌声の構造を、体感的に解明、理解するまでやり続ける所存であります。
声楽発声は、一つの実践哲学であり、情緒論としても整合性を保たれる必要があると思っています。
行っている発声を情緒論的に分析してみては如何でしょうか?
逃げ、媚び、偽装、それらに偏ってはいませんか?(笑)