どうも国内では、せめぎ合いの強い、闘っている声を張り上げると、挙ってバッシングする人達が居るようである。
好みの問題もあるとは思うが、自分の想定内にある、認識出来るものに対しては雄弁に語るが、その範疇外にある事象に対しては、無視、思考停止する、演繹法に偏った人達と同じ心理もあるのでは無いか?
そもそも、聴き手側に、その声を咀嚼するだけのマインドや、体力があるのか?と言う問題もある。
素晴らしいパワフルな声を聴くと、疲労するのである。(笑)
黄金期の歌唱を貶す人達も、聴き慣れないものを排除すると言う選択であろう。
不勉強を棚に上げての無責任な発言は、いつの世にもどこでもあるのだから、それを真に受けていたのでは、らちが明かないのである。
そのような発言に、特に教育の世界は、非常に窮屈と成っているのが、どうやら現状のようだと睨んでいる。
話は脱線したが、何れにしても、マインド的にも肉体的にも体力が無ければ見えない事、多いのではと感じるのである。