現在の世の中の傾向は、どちらかと言うと、失敗する事は愚かな事として取扱い、如何にして失敗しないで最初から上手く行かせるか?と言う価値観に傾いていると感じます。
失敗すると、恥ずかしい!
失敗すると、馬鹿にされる!
失敗する事は愚かな事!
そんな風潮は、やはりバビロニア式借金奴隷制度による追い立てられる社会がもたらした事象なのでしょうか?
そんな事だから、小振りの人生で終わってしまうのです!(笑)
本日も、常に哲学的な視点で物事を俯瞰し関連付けする生徒さんとのフカイイ話(笑)の中で出て来ましたが、スノボーで、上手くなる人は、アンバランスの極に思い切って踏み込んで、派手に転ぶ事で、最高のジャンプ出来る微妙なポイントを掴む!
逆に上手くならない人は、その場の失敗を恐れ、安全圏でしか跳ばないから、いつまで経ってもジャンプなのか?足踏みなのか?判らぬ状態から抜け出せない!
と言う話をしていました。
まさに、それは、日本の発声教育が陥っている状態でもあり、「極で転ぶ」と言う事を、絶対悪と捉え、思い切った事をやらせない、生徒もやろうとしない!と言う状態では無いだろうか?
失敗とは、正解を獲るための、大切な過程であり、企業でも、昔の企業は、社員の失敗に寛容だった!なんて事も思い浮かぶのである。
これから、この社会は、どうなって行くのだろうか?
何をするにもネットでリサーチして、リスクを最小限に抑えて、失敗から逃れようとするのは分かるのだが、何の情報も無い状態では、怖くて何も出来ない人達を生み出している事にもなるのである。
つまり、カンの悪い人間だらけになって行くのでは無いか?と考えている。
益々、物事の優先順位が把握出来ない人達や、自分の頭で判断出来ない人達が増えて来る事は確実であろう。
世の中には、一流の詐欺師が居る事を忘れては成らないと思う。
なに?お前が詐欺師では無いかって?
そう!私こそ!。。。
何を言わすんじゃい!(笑)
しかしながら、その可能性も私自身考えている。(笑)