例えば、「強迫的に息を吸わせる」、「口、唇を何が何でも縦に開ける」、「息の流れが大切だと息を流す」、「顎を落とす命」、「笑顔が一番と頬を上げる」・・等々。
カリスマ性にやられて、傾倒した為に、盲点が形成されるのである。
その、結果としての一部の形を拡大解釈し、更に、絶対化してしまうと、その行為に対する客観的判断力が奪われる結果に成り、例えば、その門弟同士、「その形を守って歌っているから素晴らしい!」と言う、言わば歪んだ価値基準が植え付けられる事に寄り、聴覚にも選択透過的フィルターを形成する事になるのである。
要するに、耳がおかしく成ってしまう!
これは、従来型発声においても例外では無く、社会全体が洗脳されている状態と言っても過言では無いと思う。
私も、以前は、部分的な形を助けにして発声したり、教えたりしていたが、絶対化はして来なかった事が幸いだった。
要は、マインドの状態が関与する、抽象度の高い、それでいて、細かなベクトルをも把握出来る、広い視野感覚に至るメソッドであるべきであろう。
本来、結果として生じる部分的形から入る効果は、一時的なものであるに過ぎず、毒にもなる代物である。
バランス構築における結果としての末端である以上、そこを固定する事は、微調整不能にすると言う事である事は、常識的に考えても当然の事である。
その微調整こそが、声楽発声で最も重要かつ難解であるのだが、それ以前に問題あるパターンが殆どである事が判明しつつある。
要するに、認識が短絡的なのである。
話は飛ぶが、テレビを一日三時間以上観ると、認知能力は半減するらしい。
間接的かも知れないが、まずはそこから是正した方が良いのかもしれない。
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部分を絶対化したメソッド考
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