ある演奏に対して、「呼吸法や、支えの問題と、発音の問題を一緒にしているから、喉に貼りついたような声になるんだ!」
と言う意見を聞いた事があるが?
どうも、論理的におかしなものである。
それは、逆に、統合出来ていないから、偏りを生じる羽目になっているのであろう。
一緒にするからでは無く、変に部分を意識するからであろう。
このような、言葉の、概念の倒錯、混同は、声楽発声の現場では多々起きているのでは無かろうか?
後、発音の問題も、ハッキリと母音を構築すべく、特にア、オ母音で、口を必要以上に開けている場合が多いのも、発声が統合されていない事の現れでは無かろうか?
その問題の根本は、やはりアッポッジョ、キアーロスクーロと言うバランスの概念が理解、体現されていないからの話では無いのか。
母音発声のバランスが良ければ、言葉もハッキリと聞こえて来るのである。
特に明瞭な発音に関して、あらゆる母音に有効なパーツとしてのベクトルについて動画で述べてます。