自己演出能力が仇となるのが、アッポッジョによる声楽発声の面白いところです。
要するに、上辺の器用さ、音楽性が、アッポッジョ発声とは相反するベクトルとなりうるのです。
上辺の音楽性とは、流れを意識する事でもあり、それ即ち、息の流れを意識する事と結び付くのです。
先日も、動画で説明致しました、エネルギーの規模の小さい、ミクロ構造としての声であれば、それは有効に働きますが、エネルギーの大きいマクロ構造的声には、邪魔になるものなのです。
器用貧乏と言う言葉がありますが、アッポッジョ発声は、ある意味、不器用でも着実に定着せんとするマインドが必要なのでは無いでしょうか?
私のような結構、ミクロ構造においての声、音楽性に関して器用な人間が、痛感している事柄でもあるのでした。(笑)