これは、それぞれの前提条件が異なると言う事だと思われます。
ある人は、何かを意識して出せる事が、別のある人は、意識しないで出来ていて、ある一つの方向だけを意識する事で、バランスが取れると言う事だと思われます。
しかし、無意識に行えていた事をそのままにして、単一方向への意識だけに頼っていると、いつかは、その方向に偏る事は、自明の理であります。
従って、全てのベクトルを把握する事で、人類共通の法則、形を見いだす事が可能なのです。
黄金期には、誰もが同じ形の声に統一されていたと言う事も、画一化された形を完全に把握していたと言う事だと思われます。
現在は、ブレスなどの前提すら様々な流派で異なるので、寄り「発声は、個人によって様々である」と言う結論に至ってしまいがちですが、それは、劣化された形をも受け入れた考え方、即ち、様々な異なる前提条件を有している事を認めているからなのです。
完璧なるベクトルを把握すれば、感覚的個体差は、偏りを生み出す原因にも成りうると言う事が理解出来ると思います。
即ち、発声とは、バランスの流動性と言う性質を元々内包しているものであると言う視点が大切なのです。
発声とは?と言う問への答えとして、その流動性は、大体無視されています。(笑)
どの様な捉え方をするかで、そのスキルと言うか、理解度が解ってしまうのも、恐ろしい世界だと思います。
感覚的個体差を、自らの未熟度をうやむやにする方便として用いられてはいないでしょうか?(笑)
そんなこんなで、本日も動画配信しました。
発声の抽象度を高める事で、感覚の個体差は縮小して行くと思われます。