声の闘争とは、「吸気と呼気の力のぶつかり合い」と言う事に成っていますが、この闘争は、もっとメンタルバランス的に深い意味合いがあると思われます。
これは、発声と共に生じるピッチによる抵抗に、どう立ち向かうのか?と言う問題でもあります。
自己内に対立が生まれるのです。
現代は、特に対立が起こらぬように、例えば話題を変えるなど、受け流したり、無視したりする事が多いですが、己の内面でも、「対立させる」と言う感覚に疎く成ってしまったのでは無いでしょうか?
「息を回して!」や、「息を流して!」なる概念は、まさに、その対立を避ける方法論なのです。
私の最近の声は、特にパッサッジョ域から自己内の対立が高まり、その境地は、体験せねば解りません。
そして、その闘争感こそ、声の原因と成り、バランス、緊張度の正確な計算が可能となるものなのです。
従って、部品を組み合わせ、さて最後に息を吹きかけて出る声は如何に!?と言う「こんなのが出てしまいました!」なるメソッドでは、不充分である事は理解出来るでしょう。
要するに、その様な偶然性に頼るものではなく、「声を発する前に、既に出る声は決まっている!」と言う事を、前もって如何にコントロール出来るのか?と言う事が大切であり、必然性に持ち込む事に成るのです。
「今日の運勢は?」「こんなの出ました!」では、不安は決して消えないと言う事なのです。(笑)
剣の道で言われる、「刀を抜く前に、既に人を斬っている!」と言う事の意味も解って来ると言うものなのです。