声の構造を把握すると、様々な事が見えて来る。
そもそも、声の構造とは、マックスのバランスを体現する事で、全体の立体構造体、言い換えれば、マクロ構造である。
その、正統的なるマクロ構造を把握出来るから、ミクロ構造も見えて来るのであり、私の探究は、ミクロから積み上げて、マクロ構造に至ったと言う、骨の折れる作業を行って来た。
自分で言うのも何だが、そのマクロ構造を把握する事を、人生の目的として来たのだが、一旦、目的意識を持ったら最後、脳が勝手に働き出し、面倒とも思える作業が、面白くて仕方がなく、前にも述べたが、ゲームにハマった子供のような気持ちで過ごして来た。
さて、これからは、荒削りな部分を、如何に滑らかにしていくか?そのためには?
などと、精度、再現性に特化する為のノウハウに挑戦したい。
一番興味深いのが、声の闘争によるバランス化が定着する事で、心が安定して来ると言う事実である。
例えば、その事により、物の言い方も、一貫した個性はあるものの、声と共に変化して来るのだ。
勿論、考え方も。
そして、その人の最もバランス取れた声を発している時、それこそ、「銅像」のような、美しい顔付き、表情になることも、声と表情、見映えは、表裏一体てあると言う事が分かり、発声一つ取っても、全てに関連性があると言う理解の仕方に至るのである。
深い理解とは、そう言う事であろう。
点々バラバラな知識を、正当化の為だけに使うのであれば、何のための学問なのか?と言う事に成ってしまう。
ものの道理の大切さを改めて痛感する次第である。
政治家に諭してやりたい事でもある。(笑)