これは、ベクトルを単純化した考え方、現象を追った捉え方をしていては、必ず盲点が発生する。
部分的処方で、一見良くなった、解ったと思っても、全体の構造を捉えない限り、必ず歪みが生じて来るのだ。
構造体の一番大きなまとまりは、やはり情緒的バランスである。
そこに達しないメソッドは、必ず歌唱時に思考を呼び起こし、それが声の隙間となる。
それは、音声その物に顕れる為、「言う割なものでは無い」と言う、残念な歌声の正体とも言える。
こだわりは、バランス化にあるべきであり、そこには、一貫性が存在する。
部分に拘っているうちは、見えていないと言う事であろう。