これ、何やら、無限の宝庫である集合無意識に働きかけて、その願望達成の為に周りが変化して来る!と言う事が書かれた書物を、30年前に読んだ事がある。
これは、どう考えても違和感から逃れられない。
そもそも、成功者は、そのように考えて強く念じていたから、行動し、知識、知恵を蓄え、成功したのだろう。
しかし、その念そのものが、他者を動かしたりすると考えると、どうも、???となるのだ。
たまたまの偶然を、如何にチャンスに変えるか?と言う事が大切であるし、そのセンサーは、本気であれば、そのチャンスを察知するのである。
それを、あたかも、念が人を動かす(同調して協力するのではなく)とするのは、神憑りの世界であり、物事の因果をうやむやにしてしまう、思考停止に行き着くのでは無かろうか?
「周りが悪い、社会が悪い、とボヤくのでは無く、悪いのは自分、変わるべきは自分である!」と言う教えも、よくよく考えると、これは、社会に目を向けさせない為の一つの洗脳手段では?と思うのである。
誰かがあぶれてしまう、この借金返済システムを無視して、「自分が悪い」と思わせる事は、納得行かないのである。
とは言っても、自己改革、成長は必要である事は、言うまでも無いが、あえて自分達の性にするならば、この世の中の欺瞞に関心を持たない事、無意識化してしまっている事、日常的などうでもよい事に集中し、肝心な事をうやむやにしようとしている事が、罪な事かも知れない。
考え方や能力の格差は、生まれながらの要素も多少はある事は否定しないが、社会全体を把握した者、しようとしている者と、どうでもよい事に心奪われている者の差であるだろう。
目的が問題と成って来るのであろう。
これからは、庶民がもっと意識を高めて賢く成るべき時代であり、それが、世の中を好転させて行く前提条件のような気がして成らない。
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願望達成の引き寄せの法則考
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