強い力の声を、バランス良く発した時に、訪れる情緒は、「無我の境地」である。
何かやってやろう!などと、スケベ心を起こすと、必ず不充分な結果を生み出すが、逆に「無我の境地」に至ると、自意識を越えた声を発する事に成るのである。
そもそも、強く、バランス良い中音、高音など、情緒的に、普通の状況では考えられないものである。
人は、イメージで、分かった風な気持ちに成るものである!
強く、美しく、深くて輝いている声を聴けば、さも、「素晴らしく気持ち良く、楽に歌っているから」などと、勝手に思ってしまうのである。
キアーロスクーロなどと言う概念一つ取っても、普通では無い!
声の闘争という概念も、日常とはかけ離れている、言わば情緒的には不自然なものである。
拮抗という概念も同様である。
異なる要素、真逆な要素がぶつかり合う事を体感したら、「気持ち良く」なんて事が、イメージによる幻想である事に気付くのである。
その実態は、「違和感満載過ぎて、情緒的には手に負えないので諦めた!」
と言う時に、バランス良く成るのである。
皆さん、自意識的、情緒的に、違和感が起こらないように歌おうとする事自体、声のスケールを狭めているのである。
自意識を越えた声を構築する事は、古武術の手法にもリンクする事が多いのである。
つまりは、そんな簡単な話では無く、「無我の境地」にも通ずる、深い話でもある。
肥大した自意識が、盲点の源である。
下手な勉学、休むより悪し!by Magata
↧
無の境地
↧