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Channel: Old school オペラ発声研究家 宮前区在住 永田孝志の日々
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辻褄の合わない理屈

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拡大解釈や矮小化などを巧みに駆使し、嘘の理屈を並べている、あるいはそれを信じていると、そのうち、自己矛盾に陥る事になる。

そこで、自分をごまかして、思考停止するか、とことん考え抜くかで、その後の行動に差が出るのである。

例えば、発声にとって必要な力を、全身の支えにより、声帯への負荷を軽減させる事が肝心なのに、力そのものを否定的に見たりする、乱暴な考え方により、進歩が閉ざされたり、のど声に関する現象を、ただ単に、のどに、あるいは声帯に力が入っているから・・とし、力を抜くように指示したり、どれもこれも、必要な力を奪う処方が蔓延しているのである。

これは、抗がん剤の効果の考え方と同じである!

その本質は、無知か、意図的かは知らないが、その場しのぎなのであろう! 

と言う事は、ボーチェ・ディ・ゴーラ(喉の声)と言う、必要な概念を理解出来ていないと言う事になる。

試しにご自分の先生に、ボーチェ・ディ・ゴーラについて質問してみれば良かろう。

それで、先生の理解度が分かってしまう。

欧米人のしゃべり声を聴いても、日本の取り繕ったような「声楽家でございます!」的な声でしゃべっている人はいない事をも、どう考えて居るのか?

イタリア人など、だみ声に近い!

日本人は、まず、喉の声を構築する事が先決であり、それが出来て、初めてアッポッジョの本質が解って来ると考えるのである。

キアーロと言えば、上べっつらの笑顔に成るし、スクーロは、響きが落ちてしまう、このどうしようもないスパイラルから抜け出すには、従来の常識の何がまずいのかを理解する必要がある。

審査する側も、そこが解っていない事が、最大の問題であり、「研究されたし!」と口を酸っぱくして言うしか無いのである。

審査員の演奏の音源を、参考資料として公開する事で、そのオーディションなり、コンクールの本当の水準が判り、応募する方も、目星が付くと言うものである。

権威の肩書きでだけでは、信用出来ないのは、あらゆる分野で言える事なのであろうが!


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