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Channel: Old school オペラ発声研究家 宮前区在住 永田孝志の日々
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視野の抽象度!?

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現代の学術的視野の頂点は、言語による理性による視点であるが、マインドが、それよりも抽象度高い位置にある事を、余り問題視しない。と言うより問題視出来ない。

発声においても、様々な不具合の原因の源と成るのが、理性を頂点とし、考える事に留まる事にあるのでは無かろうか?

例えば、この社会においても、国家を最大の単位として考える事が、国境を取っ払った、グローバルに統治せんとする存在を見落としてしまう、そんなもの存在しない!と言う見方にも繋がるのでは?と思う。

マインドとは、情動をも含む為に、唯物論的に、例えそれを否定しようとも、自らの盲点である情動が、実は理論構築の中心にあった、なんて事にさえ気付かない事もあるだろう。

「男はつらいよ」シリーズの、何作目だったかは忘れたが、寅さんちに下宿している考古学の女性研究者が、「寅さん、人間は何のために学問をしているのか?」と寅さんに投げかけた時に、旅で出逢ったお坊さんの言葉を思い出した寅さんが、
「己を知る為!」と答えた時に、女性研究者は、ハットしたように、「そうだわ!己を知る為よ!」と言った事を、今更ながら思い出した。

理性を越えた、マインドと言う存在に、目を向けると言う事は、唯物論の枠を越える事でもあると思うのである。

魂とか、霊とかの世界の話かも知れないが、そうなって来ると、もしかして、現代の量子論は、そのような世界にまで踏みいるのでは?と、素人ながらワクワクする想いである。

情動の変化としてのマインドでは無く、満たされた平常心としてのマインドこそが、発声を構築する中心となる基準であると、気付いた次第である。


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