例えば工場で、生産過程にある車を路上で走らせ、「こんな車全然駄目じゃないか!」と文句を言う人は、頭がどうかしているでしょう。(笑)
声楽の途中段階に居る人が、公の場で歌う事に関しては、そんな見方はしませんよね。
むしろ、その段階で、うわべの塗装を綺麗に仕上げたものを誉めますね。
これらの現象は、やはりそれが死活問題に成らないどころか、「早く歌いたい」と言う学習者側の欲求を満たす事の方が、とりあえず楽しませていると言うメリットがあり、それを重視するからですね。
そんなメリットよりも、「歌えていない」と言う事に対する損害が少ないからでしょう。
それが先生にとって、あるいは歌手にとって死活問題となる位の産業になっていた黄金期とは、背景が全く違うと言う事でしょうか。
モダン歌唱で、弛く歌おうが何をしようが、大して変わらない収益、と言うより、夢追い赤字虚構産業である事が、その一応権限のある指導者一存で、良し悪しが決まる!それが客観的な良し悪しとかなり解離している、権限のある人間にとって都合の良い仮想現実を造り出そうとする事が大手をふって通用してしまう事でしょうか。
このモダン歌唱!
フルオケの真っ当なる楽音の前では、ボヤけたうつろな声でしかなく、それを飛び越えて聴こえる筈のものが、それに埋もれかき消されるのですから!
どんな表現をしようが、聴こえなければ話に成らないのです!
これは、大勢のコーラスでも同じ事です。
オケに埋もれて届かないのです!
どんな楽器よりも優れた肉声とは、訓練された音声の事を言い、聴こえて来なければ、どんな楽器よりも劣るのでしょう。
そんな現実を認めないで自ら信じた物語に酔えればそれは幸せな事でしょうが、業界の外にいる純粋な所見は、それとはかなり食い違っているようです。
結局は、歌手?に夢を観させ、その夢の代金を徴収して成り立っている虚構の世界であると言えると思います。