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Channel: Old school オペラ発声研究家 宮前区在住 永田孝志の日々
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天井のある声

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黄金期の歌手の声は、皆、声の出口付近に、声の天井を感じる。故に、完結したパッケージ化した、すっきりした声の輪郭が浮かびあがる。

さて、第二次世界大戦以降、その出口付近に感じる天井、蓋、が、取れて、そこの輪郭がぼやけて来た事は、耳の良い読者の皆様ならお分かりかと思う。

さて、その事により、何が変化して来たか?

私論の段階ではあるが、音声が気息化して来た事!そして、それでも破綻をもたらさぬように工夫された「横隔膜の押し下げ」の強化であると察する。

フランコ・テネッリ氏の、横隔膜のプッシングダウンの方法論が、それである。

彼の声は、声の蓋が無いにも拘わらず、見事な高音域を聴かせてくれるのも、その技術の恩恵だと思う。

しかし、黄金期との違いは、音声の立ち上がりに観られる「うろつき」の時間の長さが、長すぎる事では無いか?

ともすれば、音声が広がり、ぼやけた印象にも繋がるのである。

所謂ベルカント派は、その声の蓋や、天井、屋根、と言う概念を否定する。

さも、それにより、声が縛られ、自由な可能性が奪われるかの如くである。

贈り物のパッケージの蓋が取れて、中身がバラける可能性があるものを、「いつでも気軽に取り出せますよ!しかも、バラけるのを防ぐ為に、底で密着していますから・・」と言う、例えは適切では無いかも知れないが、そのような印象である。

天井、蓋、屋根、と言う拘束こそが、黄金期の声の特徴的要素であり、強烈な個性、存在感の源である!

初期ベルカント派の「自由」とは、黄金期とは逆で、ある上限の下での自由なのである。

第二期黄金期の声は、その上限を突破する為の「拘束」である!

現代は、上限を突破する手段を、蓋を外した状態のまま、「あ~でもない、こ~でもない!」と、ウロウロと、さ迷って、表現力と言う価値観に置き換えて、演劇性と融合し、更に複雑化し、真理が見えなくなってしまった状態では無かろうか?

これは、経済学の世界の構図と、瓜二つである事に、驚いている次第である。

真の公理が、見失われた、あるいは意図的にボカされた世界である。

発声の総括動画


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