本質を押さえていると言う事は、何が主軸であるのかを捉えていると言う事である。
そうすると、主従が明確になり、シンプルに整理されて来る。
しかし、その本質を捉えていないと、主を捉えていない事により、並列化された複数の従を、ああでもない、こうでもない!?
ああでもある、こうでもある!?
と、複雑にこねくりまわす思考となるのである。
従来の経済学にも、その傾向があり、主を捉えていないその複雑化された理論故に、それを理解した私は頭が良い!と思わせる為に、その思考の癖は、他の場面でも悪影響を及ぼす事にもなるのでは無かろうか?
こねくりまわしているうちに、性格まで歪んでしまう!?
なんて事も考えられなく無いと思う。
声楽発声も、国内では同じ様な事に?
いや、こねくりまわすならばまだしも、思考停止の一環にて、飛躍して神秘に持ち込むパターンがある!(笑)
主を見落とす!履き違える!
それは、本質を見失う事でもあり、こねくりまわすとは、言わば不安定の構造から派生するものである。
ああでもない!こうでもない!
ああでもある!こうでもある!
で、結局、何が言いたいのか、わからない!?
思考でも、体幹でも、軸になる基礎が大切であろう。
その軸となる本質を見失う事は、裾野に様々な悪影響を及ぼすのではないか?
そんな事を、アッポッジョの研究動画作成の最中に思い付いたのであった!(笑)