何故、出来てもいない出来損ないの形にも拘わらず、「これが正統だ!」と言えるのでしょうか?
それは、商業路線に乗せられたマエストロの誉め言葉を真に受けているからです。本当に権威主義者は単純だと思います。
その心理的からくりはこうです!
「マエストロが誉めてくれたから出来ている筈である!そのやり方を実行しているから良い筈である!」と言う、本当におめでたいものなのであります。
だから、自分の声の隙を観ないようにして、「やり方」に固執するのです。やり方が、ほんの側面的なものであると言う観点は、マエストロ信仰によりタブーとなってしまうのです。
私の言いたいこと分かりますよね?
声って、そんな人間の都合で出来た権威主義などお構いなしに隙から崩れて行くと言う観点が、どうして持てないのでしょうか?
皆、それにやられてしまうのです!
権威なるもの、言ってしまえば人間の社会的辻褄を合わせる為の都合で出来上がった共同幻想なのだと解釈しています。
その渦の中に居ると、そんな罠にまんまとハマってしまうのです。
声は、そんな都合などお構いなしに崩れようと待ち構えているのですから。
声の現象と、都合上の共同幻想を分けて認知する事が大切なのに、共同幻想の方を重んじてしまうのが現状なのです。
その位の冷酷なる視点が無くて、何が研究か?と、私は声を大にして言いたいのです。
目を覚ましましょう!