歌には様々なジャンルがあるが、特にドイツリートをリリックに歌う歌い方は、日本人の日本語の発音の傾向でも、一応きれいな形には成る。
それに甘んじて、発声を語る指導者も沢山いらっしゃるようである。
しかしながら、その撫でるような薄い声で、イタリアオペラを歌ってみて欲しいものである。
まず、形に成らないのである。
声が圧縮されていないので、パッサッジョは開き、アクートに持ち込めないのである。
圧縮されていない声は、男性に関して言えば、総じてローカルジャンルにおける「未成熟な青二才的音声」である。
大人の声に成っていない声である。
この人達は、非常に大ざっぱな概念を用いて、自らの声、発声を正当化している事には、必然性があるといっても過言では無い。
話は変わるが、実は、例えばピアノの先生などの他楽器の先生の中(声楽の先生の中にも意外に多いのだが)には、オペラ歌手の黄金期の歌声を知らない!と言う方が多い。
声楽と言うイメージは、軽くきれいに流すようなイメージしか持たれていない方が多いのである。
本物を知らないのである。
そもそもが、その様な「ドラマのある肉声」に興味の無い先生方がいらっしゃる現状であるから、何をか言わんやである。
下手すれば、素晴らしい声でも、「私の辞書にはその様な声は在りません!」と、拒絶反応さえ引き起こしかねないのである。
ポップス音楽の世界の人間が、クラシック音楽を否定する!?かのような現象が、クラシック音楽の中でも、ジャンル別(ローカルとインターナショナル)において、少なくとも国内では起きているのである。
奇妙でありながら、面白い現象でもあると思うのである。