どんなに短い音符でも、長さと言うものがあり、その長さを感じながら演奏すると言う事は、当たり前な様に思えて、意外と盲点となっている事だと思います。
即ち、良い声と言うものを、最初の一点に集約化して認知してしまうために、時間軸に盲点が出来ると言う事に成ってしまうのです。
例えば何やら動作がぎこちなかったり、不自然な印象を与えるのも、その時間軸の盲点から来ているのでは無いでしょうか?
時間軸の認識の問題であると思います。
「断片的事象」などという概念を、私も良く用いますが、時間軸の断面に集約された認識を知らず知らず行っているのでは無いでしょうか?
発声を含めた音楽は、時間芸術です。
今一度、その事を考え直してみては如何でしょうか?
例えばの話、三次元の立体ピースに、二次元のピースを埋め込もうとしても、徒労に終わる!
と言う事なのです。
言語とは、そのような次元の錯覚を起こさせる性質があるものだと思います。
解った気に成るのも、言語化による認識がそうさせていると言えなくも無いと思います。
「時間軸の盲点を埋めよ!」
これは、永田門下生への課題であります!