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Channel: Old school オペラ発声研究家 宮前区在住 永田孝志の日々
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奴隷脳、家畜脳!?

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現在、総てにおいてマニュアル化は進行しており、特に学校教育の影響なのか?新入社員を教育、監督する場面でも、「上司の様子を見て悟れ!盗め!」などというスタンスでいると、すぐに「それってマニュアルにあるのですか?」と来る!と、当事者から聞いた事がある。

「そんなもの無いよ!」などと言おうものなら、マニュアル化していない会社が悪い!と言う風に受け止めるようである。

これを、私の考察で説明すると、学校教育の現場で、「電子レンジに猫を入れて乾かそうとしてはいけない!と説明していないから家の猫が死んだのでは無いか!」と、実際にアメリカで起きた訴訟並みのアホな親のクレームに対応する。

その結果、事細かく、記載漏れ無いように対応を迫られ、教え方も、「良いですか?歩く時は、左足から出して、その次は右足を出すのですよ!」並みのアホな事まで説明し、「この通りにやれば、自分の頭で余計な事考えて失敗するよりもずっと良いでしょ?」
となるのである。

教える方は、「全部説明する事」に正義感、使命感、達成感を満足させるようになり、それが、まさか異常な事とは思わなくなるのである。
要するに、支配下にある事を寄り促す。

マニュアル化とは、拡大解釈すると権威主義、演繹法と繋がる。

囚人が、長年の懲役を終え、シャバに出た時に、なかなか社会対応が出来ない脳に成っていると、以前どこかで聞いた記憶があるが、それこそ、命令に服従するだけの生活により、指示されないと動けない人間になるようである。

そう!
現代の教育システム、社会は、奴隷脳、家畜脳を育成!?しているのでは?と思うのである。

「最早、世の中には、叡智は出尽くしており、ゼロからものを考える事は、非常に非効率的で、時間の無駄である!如何に権威を利用するか?と言う事に集中したまえ!」
などというインテリが多いようであるのだが、それは、偏った考え方であり、結局、パクリの脳を使うだけの浅知恵と成り下がってしまうのである。
「全ての知識を取り去った後に残るものが教養である!」と言う教えの逆では無いか!?(笑)

全ての知識を取り去った後には、何も残らない人間って、何なのだ?

声楽発声の世界を見渡しても、みーんな演繹法!
だから、目の前の酷な現実に気付かない訳なのである。
「~である筈である!」は、「~では無い!」と言う事が多いのである。

自分の意見を持つと言う事は、自分の頭で考えると言う事であり、現代社会では最も困難な事であるのでは無かろうか?





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