アッポッジョとは、息の支えにおいてのバランスの構造であると、体感的に理解している。
狭い意味では、横隔膜のプッシュダウンであり、それに対立する力をサポートと言う。これは、ジェローム・ハインズが提唱している。
さて、何故、横隔膜をプッシュダウンさせるやり方を肯定したり、否定する流派に分かれているのか、体感的に理解した次第である。
軽い声の人間は、その拮抗力はさほど強くしない方が、その楽器そのものの個性が発揮されるわけであり、重い声の人間は、その拮抗力が強く無ければ、バランスが取れないのである。
それに伴い、体感は異なるのである。
どちらかと言うと、重い声の人間が軽い声のメカニズムを押し付けられて、喉が締まってしまうパターンが多く、勿論、その逆もある。
横隔膜や、腹壁の操作は、声種により、男女差により、異なる!と考え無ければならない。
問題なのは、そのような全体を観る目線では無く、一つのパターンを絶対化する事である。
声帯の質量による拮抗力の差異を、バランス論として観る事で、高い次元の目的論に到達出来るのであろう。
政治、経済においても、何を問題とするのか?と言う事で、応急処置に過ぎないのか、根本解決方法なのかに分かれる。
安保法制に関しても、様々な意見があるが、問題は、もっと上の方に有ると感じている。
極論かも知れないが、何党が正義で、何党が悪!なんて、まるで、横隔膜下げるのが悪で、下げないのが善と言う論議に似ている気がする。
物事って、ちょっと知識をかじっただけでは、理解したとは言えないと言う事を、アッポッジョ体感と言う理解を経たお陰で、解って来た次第である。
私の出来る事は、徹底的に探求するのみである!
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アッポッジョのベクトル
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