アッポッジャーレとは、寄りかかり、もたれ掛かりと言う意の事であるが、何が何処にもたれ掛かるのか?と言う事までは、なかなか明確な言及に至れないでいたのだが、ようやく文献の記述で明らかになった。
要するに、声が、上から気管の最上部にもたれ掛かると言う事である。
この事により、sul fiato(息の上)と言う概念とも繋がるのであり、息の上から、下にもたれ掛かると言う構造が、アッポッジャーレの根幹であり、声楽発声の肝の部分であると言えるであろう。
それにより、アッポッジョの形が可能となる。
これ、相当な体力使うのである!
押し出す力が、ほんの一瞬遅れた声門閉鎖により、反作用で、力が戻って来る!
その戻って来る力の形、受け止める形を整えコントロールする事で、キアーロスクーロアッポッジョが成し得るのである。
私が唱えているのは、その受け止める力の形、位置、大きさ、強さ、これらをコントロールする事で、最も適した声の必然的概念、即ちキアーロスクーロ(明暗法)に到達出来るものであるとするものである。
決して、仮想のイメージの産物では無く、実際に体感的に作り上げるものである。
そして、それは、プロフェッショナルな高度で確実なる声の必然である。
それが、刹那の順序による産物でもあり、その順序を適正化させるには、過度な準備が仇となると言う事でもあり、情報の主従、順序を並列化する、即ち同時に全て行おうとする事が、硬直、虚脱を招くと言う事でもあり、その世界は、言語はあくまでも結果に対しての説明に過ぎず、準備には、余り適さないのである。
頭の中は、本来は、非言語的抽象的認識が先であり、それらを全て言語化出来るものでは無い!
言語至上主義的認識は、その世界を劣化させる要因ともなる。
言語化による具体化は、抽象度が下がる。
余りに言語化に特化する事により、失うものも多いのでは無かろうか?
言葉はくせ者である。