チョコッと発声勉強して、凄い声になって、皆に称賛され脚光を浴びる!
まあ、大抵の人達は、そのような野望の下に声楽の勉強を始める。
何やら、弱虫で虐められっこが、空手などの武道を習い見返してやろう!とする動機と非常に似ている。
では、上達して堂々と人前で声を披露出来るとは、そのような弱さを劣等感として持っている状態である筈は無く、作為的では無く、普段から落ち着きのある、堂々とした風格にまで、訓練の結果が反映されている必要がある。
本当に良くなれば、周囲からの脚光など、嫌でも浴びるのである。
脚光を浴びたい!と言う動機だけでは、不充分である事がお分かりであろうか?
寄り良くなる事を目的としていれば、如何に周囲から脚光を浴びようと、それは現象の結果に過ぎなく、それだけに満足出来なく成るのである。
声が変わると言う事は、情緒とのバランスが良く成り、行動が変わり、目つきが変わり、言葉が変わる、全体の雰囲気も変わると言う事である。
オタクの雰囲気がただようようでは、「隙在り!」と成るのである。
といって、無理に芝居しても始まらないのである。(笑)