ここで明らかにしておこう!
様々な発声の概念は、むしろ前提条件の方が重要であると言う観点に立って、初めて全体像が把握出来るのでは無いだろうか?
まずは、「腹式呼吸!」
これは、リチャード・ミラーが明らかにしている。
ドイツ人医師により提唱されたものであり、アッポッジョとは異なる、短絡的、局所的な概念である。リスクが多い呼吸法と言える。
抽象度は、アッポッジョの方が遥かに上で、勝る!
「息の上に声をのせる!」
これも、リチャード・ミラーが警鐘を鳴らしている概念である。
又、ジェローム・ハインズによると、これは、アッポッジョ、サポートの支えの上に乗った声のプレースメントの事を言うようだ。
決して、魔法のような、特殊なものでは無く、息混じりの声と勘違いするケースも多々見受けられる。
喉頭の位置が比較的高めの初期ベルカントの概念とも受け止められる。
「押すな!」
これも良く言われるが、この概念により、必要な寄りかかる事も自ら禁じてしまい、不充分な声と成っているケースが後を絶たない。
「力むな!」と同種の概念であろう。
これは、声門周辺の必要な緊張が不充分な時に、声を前に出そうとする事で、押した声と感じる声となるが、正確には、力の連携が上手く行かない歪んだ声と言えるだろう。
その他、詰めた声、呑んだ声、落ちた声、こもった声、平べったい声、のど声・・など様々なバランスの悪い声が在るが、それ自体を全否定する考え方は、状況を改善させるどころか、悪化させる可能性が高いと思っている。
ここで、重要な事は、適正化された声を力強く、幅広い音域で、充分な声で歌う事は、日常の常識的感覚を逸脱したものであり、早々に会得出来るものでは無い!と言う事を前提に考える事であろう。
不必要な力を抜くべく、リラックスすれば、その代償に、必要な箇所への多大なる負荷が架かる訳であり、そこで、力むなと言う概念により、その適性な感覚であるにも拘わらず、その感覚を否定してしまう事が、何よりの壁であると感じるのである。
短絡的思考では、右往左往するばかりで、決して到達出来るものでは無い事をお感じ頂ければ幸いである。
最終的には、マインドそのものが声を作り上げると言う事の理解にまで至る必要があろう。
マインドと、声の感じ方のバランスの世界に至ると、細かな物理的操作が有害に働く事も忘れては成らない。
ある局面では薬になれど、別の局面では有害となるのが、具体的、局所的方法論の宿命である。
良く、「変えては成らない!」と言うが、それも、何を変えては成らないのかがボカされていて、精々、口の形を変えるな!程度である。
この、口の形を変えるな!と言う教えは、部分的効果はあるが、本質では無い為に、硬くなり歪む箇所が必ず発生してしまう。
では、正確に、何を変えないのか?
それは、マインドそのものである。
環境の変化に対し、うろたえない、平常心を保つ訓練!
それが、発声の訓練の根幹にあるものだったのであると、私は考えている。
それにより、加わった力が、適切に配分される事!それが、アッポッジョの本質と私は観ている。
言うは易しなので、いくらでも公表して構わないのである。
少しでも、このブログで発声への疑問が理屈だけでも解決出来れば幸いである。
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概念の盲点
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