こんな事言っては身も蓋もありゃしませんが、世の中、建前の出来事を本質であると錯覚するから、本質論から離れておかしく成って来るのでは無かろうか?と最近特に感じるのです。
これは、陰謀論への見方、考え方にも通ずる話であり、表に出ていない情報以外の信憑性を無視するか、考慮するかの違いでもある。
学術なとの権威の世界は、完全に建て前の世界であり、不況和的認知により、そのような頭に成って来てしまうのであろう。
経済学など、学問では無い!なる意見が昔から言われていたようであるが、そう言われるだけの状況証拠は出過ぎるほどでているのである!
後、学術の分断統治!
狭い範囲の専門家を山ほど作り上げ、お互いに、「これは専門分野、それは専門外」と、適度に責任転化による、「抽象度高い認識をさせないようにする」システムが確立されているようである。(笑)
そんなシステムの下で言いなりになるだけでなく、もっと、国民一人一人が、社会の本質に目覚め、「建て前はあくまでも建て前」と言う認識を持つことが、自分の頭でものを考える事に繋がるのでは無いのだろうかと思うのである。
発声の衰退も、元はと言えば、建前論に偏った結果もたらされたと言って過言では無いと思う。
都合により、権威主義を持ち出し、本質論を持ち出したり、社会的立場で、物の見方が変化すると言う事は、自分に都合の良い事をかき集める能力が、人間には備わっていて、それが、間違いの元にも成りうると言う事であろう。
客観的な見地に立つ事の難しさを痛感するのである。