パッサッジョ域から高音域にスムーズに移行する為には、パッサッジョ域でキューゾする必要があります。
キューゾとは「閉じる」の意ですが、ニュアンスとしては、狭める、圧搾すると言う感覚を伴います。
この感覚の度合いは、声の重さ(声帯の大きさ)や、個人により異なります。
パッサッジョ域での注意点は、以前にも取り上げた事がありますが、例えば絞り込んだパイプの出口の面積、あるいは体積は小さく成ります。(あくまでも感覚的な話です)
単位面積あたりの圧力は、僅かに増える事と、押し出す力の総量は、ほんの少し弱める事がコツと言えます。
そして、高音域に突入する時、パッサッジョ域における4度音程での微調整の延長上に高音域(アクート)のバランスが存在するのです。
何も、アクートが別世界と言う訳では無く、むしろ、特別なる別世界だと言う悦に入った感覚が生じると言う事は、そこで関連性が断たれると言う事にも繋がってしまい、チグハグな構造であると言う証明にも成ってしまうでしょう。
何が正統なのか?と言う事を考える時に、「構造」と言う観点と、「聴き比べれば判るだろう」と言う、聴覚的感性の両方の条件を満たす必要があります。(耳が洗脳による思い込みで、おかしく成ってしまう事も当たり前のように在るのです)
更に、構造と言う観点で声を観ることが出来ると、指導内容の質が変化します。
要するに、足りない要素が的確に判別出来、声を全否定する事が無くなるのです。
これは、教わる方の気持ちを考えると、願ったりかなったりだと思います。
自らのカリスマ性を誇示するように、少しの歪みも、全否定する教え方は、いくらマエストロでも、教師の風上にも置けません。(笑)
結局、構造が解らないから、そのように成るのだとも言えるのです。(笑)
まさか、私自身も「声の闘争」やら、「明暗法」やら「アッポッジョ」などのキーワードから、こんな結論が出るとは思いも寄らなかったのです。
つくづく、現代の劣化したテクニックの基でのマエストロに洗脳されなくて良かったと思っています。
権威も、マエストロも、絶対では無い!と言う視点、即ち自由な立場でなければ、なかなかこのような研究は出来ないものと思われます。
高い銭をはたいて留学すれば、心理的にそれを棄てる事などなかなか出来ないのです。
今まで何十年間信じ続けて来た事が、実は虚偽、虚構だったなんて、信じたく無いのです。
そこが、人情であり、良い人達だと思います。
となると、私は、目的の為ならある意味、師弟関係などと言う渡世の義理など全く省みない、冷酷な一面もあるのでしょう。
しかし、その改革が、多くの声に悩む人達に取って良い結果をもたらすのなら、それを優先させなければ成りません。
散々、先生を渡り歩き、どんどん声が出なく成ってきた!と言う人が、私の動画やblogをご覧になり、直感的に、「これだ!」と思われ、「内容が、手に取るように理解出来る!」との感想を述べられる事も、一つの「真実に触れた時の反応、現象」だと思います。
私の目的は、「解明」であります。
目立ちたいとか、金儲けたいとか、権威に成りたい、などは、どちらかと言うと(笑)どうでも良いのです!
「飯が旨く食べられたら満足じゃ!」by永田