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Channel: Old school オペラ発声研究家 宮前区在住 永田孝志の日々
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モダン歌唱から思う事

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西部進さんのお言葉を借りれば、「モダンとは、近代であるが、もっと深く考察すると、簡略化された形式化、様式化された流行を生み出すものであり、大量生産を可能にする社会構造でもある。

その先導者として、局所にしか興味を示さない専門家(インテリ)の存在がある。」

これこそ、モダン歌唱に見られる声の空洞化現象の本質では無かろうか!

インテリの在り方も、事細かく多数の局所的専門分野に分かれており、およそ、物事を俯瞰する余裕など無いのでは無かろうか?

下手に他分野の事に言及すれば、素人扱いされるのであろうか?

発声における様々な現象を紐解いて行くと、社会現象と密接な関係が見られる事を考えてみると、具体性のみが取り上げられ、抽象的視点など、軽視される傾向も、何やら仕向けられているのでは?と疑ってしまうのである。

さて、このモダン現象を先頭きって大衆を動かしている「局所的専門人」であるが、声楽家、声楽教師も、まんまとその動向に呑まれてしまっているのでは無かろうか?

まさに、発声と言う抽象度高いメンタルバランスの技術であるのに、その視野たるや、発声器官の一部分、特に声帯がどうのこうの!と言う結果としての一部の現象に拘る始末である。

方法論にしても、まさに局所的なアプローチであり、様々な局所の集合体としての全体に繋がらない限り、そのアプローチは偏りを生み出す必然性を有しているのである。

マスメディアで、「納豆が良い!」と報じれば、大衆はこぞって納豆を買い漁る!

これこそ、モダン現象の一つであり、発声に関しても、簡略化された形式として、ある意味部分的には分かり易い指導の下で、そこそこの歌手が大量生産される現状も、その現象の一つであろう。

だから、声の構造も、儚く、稀薄なのである。

主流がそうなのである時代であり、衰退の一途を辿っているのなら、やはり、それを見直す必要があるのでは無かろうか。



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