各専門分野に分かれており、その分野ごとに、どう関連性があるのか?と言う、抽象度高い見地で観る事が難しく成っているようであり、考えようとしない帰来もあるのでは無かろうか?
不確かな抽象は度外視して、具体を検証するに留まったものの見方が主流であるように感じる。
少なくとも、発声を通じて、発声の現象は、情緒的なバランスと言う抽象度高い領域に繋がっており、アッポッジョの結果、堂々と胸を張ったフォームに定着する事を考えるに、そのフォームが必然となるマインドとは?、と考えざるを得なくなってくる。
人々の前に立ち、堂々と発声すると言う事は、嘘では無く、わだかまりの無い状態でもある!と言う事に成っている。
そのためには!盲点を無くし、内面をリサーチ出来るか否か?と言う問題にも関わって来るのである。
従って、発声においても、何においても、隙と言う概念は共通したものであり、例えば虚勢で覆い隠しているならば、そんな迷子の自分を発掘、発見して、救済してやる必然もあるのだと思う。
一挙手一投足に、その内面は反映されるのであり、見る人がみると、判ってしまうと言う事である。
すべては関連性で繋がっている!と言う事は、紛れもない真実であると、確信している。