最近の自由化の政策がもたらした格差社会!
これは、モダン歌唱でも見られる現象である事は、先の記事で述べた。
日本の高度経済成長期の、特異なる経済発展の裏には、日銀による強制的な市中銀行に対しての窓口指導があった事など、余り知られていないのでは無かろうか?
要するに、強制的な介入が在ったのである。
さて、現在も続くデフレ不況であるが、バブル、バブル崩壊、デフレと言う動きが、意図的なものであったのか否かと言う事は後回しにして、自由化政策により、デフレ脱却どころか、脱却出来ないのでは?と言う結果が露わとなっている。
そこで、強制的介入論を唱えると、すぐさま「日本は社会主義では無い!おまえは社会主義にして、ソ連や北朝鮮のような独裁体制にしたいのか!」と来る始末である。
独裁を恐れての発言なのだろうが、この「自由化」こそ、逆らいようのない、事実上マイノリティ独裁によるものであったらどうなんだ?
なんて、すぐに想像してしまうのである。(笑)
さて、ここで、この有識者の論調を、発声に置き換えて考えてみると、「そんな声門の抵抗を参入させるなんて、おまえは喉声にしたいのか!?」と言っているようなものである。
天下の一流大学出た論客が、こぞってこのような論調なのである。
アッポッジョと言うバランス論から観ると、何と一元的な低次元の・・?
おや?これは巷の発声理論と同様のレベルでは無いのか!?
やはり、全ては繋がっているのである!(笑)
そのうち、「アッポッジョから読み解く新社会秩序」なる論文、あるいは書籍を出したろうか?
まず、某経済評論家からは、「トンデモ本」のレッテルを貼られるだろう。(笑)
しかし、抽象度は私の方が上であろう。(笑)