現代において、世界的歌手と言えど、例えばバリトンでは、レオ・ヌッチを越える歌手は居ないのが現状である。
要するに、そのレベルの師たちを頂点と捉え崇めるような師弟関係は、果たして何の意味があるのだろう?と疑問を持つのである。
師を参考に、師の盲点を突き止めて、更に優れたものを模索し、再構築せねば、声楽発声の劣化は止められないのである。
こんな事を言うと、恩知らずと言われるかも知れないが、私は、師を「参考資料」として見て来た歴史であり、その事が、今日の発見に至れた要因の一つでもある。
はったりに似たいい加減な理論(似非科学か?似非哲学か?)にだまされかけた事もあったが、そのいい加減な中にも、真理が全く無かった訳でもなく、そのチグハグな構造の、何が拙いのか?と言う事を解明する課題を与えてくれた事も有意義であったと言えなくもない。(笑)
私の師たちにとって、私は最も都合の悪い生徒であった事は間違いない。(笑)
逆に、師にとって、都合の良い生徒など、師を越えていない証拠でもある。
問題は、ゴールをどこに設定するか?と言う事である。
あらゆる意味で、師を絶対視し、崇める事は、視野が狭くなると言う宿命になるのである。
私の門下は、私を絶対視せず、師弟共に、私より優れたものを目指していると言うスタイルであって欲しいし、現状そうでは無かろうか?(笑)
であるから、師弟であっても、競争相手なのである。(笑)