表情の問題なのだが、同じ微笑みでも、作ったものと、本当の微笑みの違いの話である。
とりあえず、上辺だけ取り繕った微笑みは、「目が笑っていない」などと、良く言われているものである。
この現象は、やはり、胸が関与している。
本心で微笑んだ人は、胸に暖かみを持ち、気持ちで膨らんでいるのである。
そして、顔は、その結果の反応なのである。
一方、上辺の微笑みや、笑いは、胸が閉じているので、その分、顔の表情筋が、過剰に笑顔を作ってしまったり、目が無表情であったりするのである。
それが、声に、そのまま反映するのである。
だから、逆に、顔の表情筋の働きを最小限に留めて、喜びの表情のある声を出そうとする試みこそ、胸の充実感、解放感に気付かせてくれると言う事も有るのでは無かろうか。
胸の充実感無ければ、顔の表情が乏しくなると、途端に暗い声に成るのである。
しかし、馬鹿笑いや、しかめっ面は簡単に出来るが、穏やかな微笑みを表すって、難しい!
と言う事は、その様な気持ちにはなかなか成れない状況にあると言う事も言えるだろう。
もしかしたら、穏やかな気持ちそのものに、絶妙な感情の拮抗バランスが存在しているのでは無かろうか?
まるで、ア母音が最も難しい理由ともリンクするのでは無かろうか。
微笑んで!と言う指導があるが、これこそが難しい事なのかも知れない。