どんどん声が歪み、不調に陥って行く発声は、疑念から迷いに発展し、その迷いが、声の隙間を作り出し、悪循環に陥ります。
例え、正しい指導でも、それに頭から疑念を持ち、信じきれないと、声の隙間は発生してしまいます。
充分な、充実したマインドが、隙のない充実した声を生み出すと言う事は事実です。
とりあえず、信じてみる と言う能力?は、非常に大切であると思います。
そうすると、意外と、盲信が少なくなり、上手くいかない所を冷静に観る事も可能と成るのでは無かろうかと思います。
危ないのは、疑い深い人です。
疑い深い人が、一旦、肯定してしまうと、盲信に近く成ると思われます。
何故か?
理由は単純です。
「この疑い深い俺様が良いと判断したのだから真実に違いない!」と成るのです。(笑)
それが固着してしまうと、厄介です。
私は、何でも、まずは試してみようとします。
「ひょっとしたら何か素晴らしい事になるのではないか?」と、ウキウキしながらやってみます。
例え、無駄骨でも、悔しい思いがしない体質なので、恐らく、相当なるアホだと思います。(笑)
その分、また別なものに期待を寄せる訳です。
そのアホな体質が、帰納法的実験に取り組む事が出来た要因だと思います。
騙されるって、良い意味で、夢を観させてくれるってことなのですから。
自分の思い付きも、「もしかしたら偉大な発見では?」と、楽しむ訳なのです。
その位おめでたく無くて、こんな事、続けられませんよ!(笑)
疑い深く、何も信じず、何もしない!寄り、楽しめると思いませんか?(笑)
誤りが見付かれば、「新たなる発見」として、取り入れれば良い話であり、なにも最初から出来てますよー!と格好付けるより、進化出来ると思います。
ある意味、騙されるって、趣があると思います。(笑)
被害の程度問題ですが。(笑)