高音域を楽に出せたら良いなあ!
などと思ってませんか?
その思いは、ある意味正しくて、ある意味間違っています。(笑)
声帯を傷つける事無く、適切な息の流れを生じさせると言う目的における意味において、ある意味、楽に出なければ成りませんが、脱力状態で、ボーッとした状態における「楽」では無いのです。
本来、高音域は、心身ともに高い緊張を強いられるものです。
喜び、闘争、希望、哀しみなどの情緒が総動員するものであり、メンタル的に、興奮状態に成る必要があるのですが、特に知的作業に従事しておられる方々は、そこに至り切れないで、思考が優勢に成るために、高音域が歪むパターンが多いようです。
しかし、訓練を重ねる事によって、可能に成って来る事も事実であります。
その様なマインドの状態を自由自在に作り出す訓練は、ある意味、演技する事の訓練でもあるのです。
音域におけるフォームとは、その様な意味においての関連性があるのです。
アッポッジョにおいての前提条件に、少し持ち上がった胸郭があると言う意味を考えると、歌唱とは、ポジティブが前提である事が伺えると思います。
同じ理性的でも、そこ(興奮状態まで自在に作り出せる)を前提とした理性の在り方と、理性が、それを妨害すると言う働かせ方とは、視野の広さ、可能性に、異なる結果をもたらすのでは無いでしょうか。
それは、自信にも関係する事であると思います。
やはり、地道な訓練あるのみだと思います。
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メラメラと燃えるマインド!?
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