レベルの高い論拠などの確証が無い限り、ある説に対しての信頼性は無い!とする考え方は、全くその通りであるが、それは、権威において、あるいは、社会の根幹の部分でのプロパガンダなどの誘導や拡大、矮小、無意識化、不正が無いと言う前提で成り立つと思う。
その他、本当はこう言いたいのだけど、言えない故の、持って回った表現に対して、真意を読み取る事も出来辛くなる。
発声と同じく、前提条件が崩れると、成り立たなくなる事は当たり前であるが、その前提条件こそが難しいのであろう。
詭弁と言うものは、正当化に使用されるのだが、部分的には間違ってはいないものの、前提条件を考慮していない(バレなきゃ良しとした意図もある)ものと言えるのではないか。
人の記憶が確実である、とか、人は嘘をつかないと言う前提条件は、殆ど有り得ない。
世の中を虚構だらけと言う前提条件とすると、結構、辻褄が合ってくる事も面白く、私の発声研究における発見にも、大いに役立っているのである。(笑)
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演繹法的論理の盲点
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