素晴らしい声を、聴衆は堪能する訳だが、歌い手が、聴衆レベルに、現象に対する錯覚をしてはいないだろうか?
手品の表側は、あっと驚く素晴らしいものでも、その種明かしは、なんと詰まらないものであるか!
黄金期仕様の発声法の種明かしを正直にしてしまうと、常識とはかけ離れた事を言う羽目になるため、大分、お上品な、そつない言い方にしている帰来もあると睨んでいる。
「素晴らしい声を出す歌手は、歌詞の内容を真に、深く理解しているから、あんな素晴らしい歌が歌えるのだ!」などと思いがちである。
「優れた音楽的解釈の賜物である!」なども、そうであろう。
なにが言いたいかと言うと、それらは、手品師に騙された、聴衆レベルの意見である!と言う事!
錯覚なのである!
私のレッスン受ければ、そのふか~い意味が理解出来るであろう!
歌で肝心なのは、「内面の素晴らしさにより素晴らしい声が出ている!」と、思わせる事、錯覚させる事であり、歌い手が、そうあるべき?と言う事とは、どうやら、余り関係が無さそうである。
私が、手品の種を解明し、明かす作業をしているのであるが、舞台裏は、辛く、小汚いものである!
と言っても、不思議とも言える声のイメージのまま、夢見ている、美しい現象を追っている声楽家が殆どであり、不思議を、そのまま魔法(コツ)で起こそうとしているから、いつまでも見えて来ないのである。
あらゆる意味で、真実とは酷なものである。
綺麗事と結び付ける事を止めれば、見えて来るかも知れない・・・。
詰まらない現実を突きつけられると、人は、ファンタジー、物事を作り上げるのである。
勝手なファンタジーと現実の区別がつかなく成ると、これまた現実との折り合いが悪いのであるが・・・。
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夢を見過ぎるのも大概にしよう!
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