ジーノ・ベーキやパヴァロッティの発言より、完成まで10年近く掛かると言う事は、どういう事でしょう?
そして、その間、人前で歌っては成らないとか、楽曲を歌わせて貰えなかったなどの制約があった事は、どういう事でしょう?
昨日、他地方の遠方からいらした、かなり研究熱心な音大の生徒さんと色々話を致しました。
やはり、本物は、途中段階では、負荷を掛ける過程において、変な声になるのは必至であると言う事です。
実際に、私も、昔は、パッサッジョ域からの歪みが多く、今聴けば、「ウギャ!」と言う感じです。(笑)
長い年月掛かると言う事は、すぐには修正出来ないと言う事です。
特に「後少しなのに!」と思われる技術的な差こそ、大きなハードルなのです。
力の育成とバランス化には、消去法的な認知力と、現状に対するメタ認知力(状況の客観視)による現状肯定、そして忍耐力(のんきさ?)が必要なのてす。
現代の傾向だと、「後少し!」と思われる技術的差を、すぐに修正出来ると思ってしまい、一見合理的に見える安易で表面的な方法論に騙されたりするのです。
現代のレッスンは、殆どがその類なのでは?と残念に思います。
忘れては成らない事は、声楽は、楽器を作ると言う作業を伴うと言う事なのです。
管楽器製造の途中段階で、これ演奏して?など言わないでしょ?
勿論、吹き手の技術構築にも年月が掛かるのですが。
長年掛けた構築の手順が有るか無いか?
その場しのぎのメソッドでは無いか?
これは、レッスンを受ければ、すぐに見破れます。
尤も、簡易版で良い!と思う人達は、このblogは無意味であるばかりか、有害(一旦解体されるので)となるでしょう。(笑)
↧
構築に長年掛かると言う事は?
↧