巷では、少々有名だとか、有名なアーティストの弟子達が、マエストロと言われて、特に日本人が有り難がってレッスン受けたりしていますが、殆どの場合、決して一流とは程遠いアーティストである事を理解していないのが現状です。
少々口が悪く成りますが、少し旨い、ジャンクフードのテイストの声なのであります。
別の言い方すれば、皆、「おめでたさ満載の声」なのであります。
特に1950年から、その傾向が顕著になり、1960年以降は、声の薄っぺら現象が目だって来てます。
その発端は、やはり、パッサッジョ域からのいい加減さにより、第二パッサッジョにおいて、声が開き、歪み、息が太くなる現象にあります。
その派生として、声(力)が前側に偏る事により、安っぽいテイストとなり、威厳のある声を逆に「恐い声」などと、誇張し、揶揄する場面もあります。
全て、自己正当化による、さも尤もらしいペテンの理論に落ち着いてます。(笑)
それを真に受けた者は、そのアーティストの更なる劣化版として蔓延る事と成るのです。
何が一流なのか?
それは、自分の頭で考え、感じ、判断する事ですが、アカデミズム信仰に洗脳されていると、本質が判らなく成ってくるのです。
まあ、そう言う大勢の人達がいるからこそ、本当の一流が際立つ事にも成るのでしょうから、それはそれで、良いのかも知れませんが・・。
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一流を見分ける耳を持て!
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