これ、刑事事件の基本理念ですが、この、証拠主義にこそ、様々な盲点を形成する要因が含まれているような気がする。
証拠が無ければ無罪放免!
逆に証拠捏造で冤罪確定!
これに類し、エビデンスと言う、論文などの言語による論拠が重要視される中、捏造や誤魔化しが無いと言う保証の問題がある!
言語とは、何度も言うように、静止的であり、二次元的であり、断片的である故に、その狭間の現象に対する盲点を形成しやすいと思う。
即ち、楽譜と同じ、伝達の手段であり、ものの本質では無いと言う認識が必要であろう。
従って、言語脳に偏った場合、時間軸や、無言の空気の間の認識において、不具合を起こすリスクが考えられる。
もちろん、リズムなる概念の認識においても同様である。
実際の音楽演奏は、ミクロ視点では楽譜に音の立ち上がりの間における曖昧な領域は記されていない。
それを良いことに、「そんな音、楽譜に書かれていない!」などと言えば、本末転倒した抽象度低い認識と言う事になる。
そんな本末転倒をも気付かない事が、あらゆる誤認への入口と成るだろう。
物事の主従、関連性の認識において、流動的な要素が欠如している場合、恐らく、社会的洗脳による悪影響であるのでは無かろうか?
ミクロの時間の盲点こそ、一事が万事の最小単位(笑)では無かろうかと、本日の朝風呂にて思った次第であった。