わかった!とか、出来た!などと言う自己判断は、あくまでも つもりに過ぎません。
その殆どが、実は勘違いであると言う、容赦ない現実を直視出来るか否か?が問題となるのです。
例え出来たと思っても、再現性が構築されない内は、ある無数に存在するパターンの一つを体験したに過ぎず、まだまだ盲点が多すぎで分かったとは言い難い状況なのです。
後、問題となるのが、考え方、感じ方のレベルですね。
特に低喉頭の声の世界は、アスリートの世界です。
一般庶民的な甘めの価値観を盛り込んでは、逆に危険です。
徹底的な差別化が必要となってきます。
一般庶民的な価値観とは、端的に言えば、出来ない事も個性!と言う、私にとっては意味不明、ワケわからない価値観ですが、メディアや教育現場を通して結構浸透しています。
まあ、得手不得手のパターンが個性ともいえますが、頑張るべきところで、単なるヘタレ的な諦めをも推奨せんが如くに解釈されているように感じます。
とにかく、逃げ、言い訳、詭弁、ペテン、すり替えなどのフェイクに満ちた世の中の言語事情から、如何に事実に近付けるか?
これが進歩の大前提である気がします。