薄皮を剥くように、徐々に前提条件が揃って来れば、そこから更に抽象度の高い次元に進化する時は、一足飛びで変化するものである。
そこには、出来るか、出来ないか、この二つしか無いのだから、その曖昧な中間型が存在しない。
世間では、出来てもいないのに、さも、出来ているような「偽装」あるいは「ごまかし」をしているだけであり、その自らのペテンに、自分が騙されて、他人も騙されている状況が多いと察するのである。
「間違った方向?」
鍛えてもいないのに、その全否定の言葉で誤魔化すのである。
他にも、「とにかく論ずるに値しない!」だとか、「お話に成らない!」などのフレーズによるレッテル貼りが、ごまかしに都合良く使用されるのである。
本物かごまかしか、それを見極めるのは、やはり、どれだけの結果を生んでいるか?と言う事に尽きると思うのである。
本物は、視野が広く、詳細まで説明可能であるが、ごまかしは、視野が狭い分、そのクローズアップで、覆い隠す手法に出るのである。
そのような視線で世の中を観れば、嘘だらけと言う事が見えてくるであろう。
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本物の進化と偽装の手法
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