発声とは、異なるベクトルの集合体であり、そのバランスが肝に成る!
バランスが命なのに、人は言語化を尊ぶ。
言語とは同時に異なる事を行うには、有害にも成るのである。
言語化は、一元的であり、クローズアップ的である。
また発声は、言語化して行おうとすると、タイミングが図れない。
非言語的な抽象度の高いものの世界である。
自転車運転するのに、いちいち言語化しないであろう。
それと同じである。
良し悪しも、ほんの些細な違いによるのである。
声楽発声の最も厄介で重要なところは、その些細な違いが判るのか?と言う事である。
そして、言語ではない認識に立てるか?と言う事である。
それは、巷では「いい加減」と言う世界でもある。
完全に出来てから言語化するのなら良いが、大体は未熟者の段階で、言語化し、ある概念にしがみつこうとするのである。
それは、ただ目先の不安を紛らわす位の効果しかないのである。