エネルギーの小さい簡易な土台から成り立つ発声同士、競い合うとすれば、何を競い合う事に成るのでしょうか?
それは、抽象度の低い具体的なアーティキレーションでしょう。
それも、それを規定として定型化する事もあるでしょう。
これ、アートと呼べるでしょうか?
この価値観からは、減点法による採点と成るでしょう。
最も抽象度の高い声の持つ力や中身には余り触れず、圧倒的な声には「歌唱芸術は声ばかりではない!」などと言う論調で否定的に成るでしょう。
これは、一様に均一化された弱者の理論です!
その中で競い合うには都合の良い「作法」を問題視するのです。
この様な、凡庸なる作法の祭典と化しているのが現在の声楽では無いでしょうか?
ただ、それには拡声器と言う現代のアイテムが必要と成るでしょう。
それが、声楽発声技術の衰退をもたらす事は、火を見るより明らかでは無いでしょうか?
突出するものを忌み嫌う!みんな一緒!仲良し同士!
これらもその象徴的傾向でしょう。
傷をなめ合う暇があれば、傷を癒し、発展して行こうではありませんか!
励まし合っていると言う中で、実は足を引っ張りあっている!なんて現実、悲しいではありませんか?