私自身、一つの壁を越え、教え方が変わりました。
と言っても、目的論が明確に成ったまでの話ですが。
具体的な方法論に、目的論を如何に結び付けるか?と言う挑戦です。
具体的な方法論と言うと、特に理系の方々にヒットして、メンタルバランスと言う、抽象的目的論を言うと、女性歌手にヒットする傾向があり、興味深いです。
さて、この私、現在の発声を自力で構築して参りました。
即ち、20年間、誰のレッスンも受けずにです。
一般的に、今の日本式発声を批判するにも、その根拠、裏付けとなるものが、何処にあるか?と言う問題ですが、殆どの場合、イタリア人オペラ歌手の教えだとか、その流れを汲む・・など、師匠が存在します。
それで、その師匠の権威の下の概念、方法論で教えます。
その場合、全く自らの付け加えや、盲点探しを行わねば、必ず、前提条件を無視する項目が出て来ます。
権威の下で、あるいは実力者の下での教えその物であると言う事は、社会的には誇れても、実際どうなのか?と言う疑いを持つ事は、重要だと思います。
あるところまでは真実でも、前提条件によっては、有害である事の見分けは、そのトレーナー自身の技量に掛かってくるのです。
誰の教えか?は、ある程度の目安に成りますが、私の場合、そのような権威をまとわない事を、逆に強みにして、如何に結果を出すか?と言う事に拘ってます。
私の教えの裏付けは、自分の声、生徒さんの向上そのものです。
真実は、権威に在るのでは無く、自分の中に、生徒さんの中に隠されているのです。
それを、どれだけ発掘するか?これが勝負でしょう。
常識や、権威のフィルターを取る事からスタートでは無いでしょうか?
そのフィルターにより、多くの真実が見落とされてしまうからです。
不具合の正体を本当に理解し、改善するには、教えのオウム返しでは駄目であり、教えの奥にある本質を探究する試みが常に必要なのです。
ある意味、権威の傘下に居てはダメで、もっと広い俯瞰が必要なのです。
私は、その立場で居られる事に、誇りを感じ、感謝の念を抱かずには居れません。
レッスンは、即ち、盲点探し、指摘、改善するのみです。
私の中にはオウム返し的な言葉は、一切ありません。
押忍!
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教え方が変わった!
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