現実とは、真実と言う事であるが、社会においては、その真実が都合が悪いものである場合、それを覆い隠し、虚構を作り出すものである事は、特にリークされた歴史が物語っている!
特に、その多かれ少なかれ虚構を信じて進んで来たもの、虚構を作り出したものにとって、真実は非常に都合が悪いものであろう。
そこで、それらの立場の人々は、その信じてきた虚構、ファンタジーを護る為の思考を行うのであろう。
ネットでも、少し属性の低い輩が、ネガティブキャンペーンする時の論調にもあるが、どうでも良いような細かな言葉のニュアンスを捉えて、その綻びを拡大して徹底的に全否定しようとするやり方は、やはり、同時にその属性の低さを再認識させてくれるのも皮肉な話である。
そこには、正当化を重視する余り、物事の主従を逆転させたりして、必死に守り抜こうとするのである。
ある意味、意地らしいではあるまいか!(笑)
基本的に、良い人が多いのである。
私のような研究は、ある意味冷酷さが伴う事を付け加えて置きたい。
何故なら、自分の過去や人間関係などよりも寄り優れたものがあれば、平気で取り入れ乗り移る体質であるから。
だから門下生の方々も、一定の水準(社会性において)を保ち続けられ、私もストレスを溜めずに済んでいる訳です。
悪しからず!(笑)