この話題は、度々綴っているが、問題の本質的なところなので、避けて通る事が出来ない。
問題なのは、誤り、不十分でもあるに拘わらず、権威化し、人々が疑いもなく信じる事である。
更に、権威の立場にある人間が、自分の権威を信仰してしまう事も当然考えられる。
逆に、その立場に成ればなる程、気を引き締めて掛からねば、その罠にハマってしまうのであろう。
声楽発声における茶番ループ!?とも言える現象は、やはり身近なコミュニティーにおける権威信仰により引き起こされてきたと思われる。
権威化、権威信仰とは、思考において、固着材として作用するものであろう。
その固着こそが、盲点を作り出すのである。
権威とは、人間が作り上げた共同幻想でもあり、信仰には値しないものである事は当たり前の事なのである。
また、権威信仰により、物事の主従、順序を見誤る事で、肝心な箇所の盲点を些細な問題と解釈する事も、権威信仰という固着化、定数化による現象であろう。
更に、権威とは、カテゴリー別に細分化された項目によるものである、言わば部分的なものでもあることを忘れてはならないと思う。
権威=真実
この飛躍こそが問題となるのであると考えている。