平等と言う概念の裏側には、差別は良くない!と言うものがある。
しかし、良く考えてみると、それはそれで、リスクはあるのである。
例えば、「法のもとの平等」は、納得出来る。
しかし、悪平等的なものは、賛同できない!
その悪平等的な事態は、平等を重視する限り付きまとう問題である!
人間に対しても、付き合う範囲と言う物があり、類は友を呼ぶと言う言葉に表されている。
誰でも彼でも、ウェルカム!
それをやっていると、その人物の信用性にも発展する事にもなる場合がある。
私の門下生でも、誰でもかれでもと言う訳には行かない!
要するに、差別化による境界線は設けておかねばならない。
平等と言う概念の弊害には、人物に対してだけではなく、物事の主従の差別化をも曖昧なものにし、どうでも良い従を優先したりすると言う風なトンチンカンを生み出す事にもなるまいか?
あらゆる意味で、差別と聞いた途端にダメ!と反応するのも、発声において「力いれてはダメ」と反応するような事と同じ事では無かろうか?
自分と異なるものを垣間見た時に、何を感じるか?
それを自ら誤魔化す事をやらかすと、そのトンチンカンな事態に自ら気づけなくなると言う事もあるのでは無かろうか?
何が異なるのか?と言う差別化は必要である!